男の最期、女の最期
CPA(心肺停止)で搬送されてくる患者の殆どが、そのままお亡くなりになる。
心肺停止から発見搬送の時間と停止の原因によっては蘇生に成功することもある。けど、ほぼほぼ対光反射がなく人工呼吸機に繋がれて心臓が動く状態になる。
携わる身としては、自分ならそのまま逝きたいと思うが、残される家族はどんな形であれ体温が感じられる状態で居て欲しいんだろうな。
死後処置をして家族を呼び入れると、夫を無くした妻は何故か自分を責める。私がもっと早く気付いていたら…、無理矢理にでも病院に連れて行けば良かった…、等など。
そして最期に身に着けていた衣類をどうするか聞くと、大切に形見として持ち帰る。
妻を亡くした夫の反応は少し違う。人前で泣くことは少ないけど、死後処置中ERの外で待って貰うと、隅っこに行って俯き肩を震わせてる。
形見に衣類を持ち帰ることは少ないけど、形見よりも存在そのものへの思いなのかな。
人の最期は生まれた時からプログラムされていて、そのプログラムを書き換えることは出来ないんじゃないかと、この仕事してて思う。
季節の変わり目は何故かCPA増えるので、また幾通りもの家族の喪失を見ていかなきゃいけない。
私は旦那より先に逝きたいな。
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